
こちらの写真は雨の日にレストランの中からテラス席を撮影したものです
寒さには比較的強い方なので、冬にダウンコートを着るのは大抵1月に入ってからなのですが、この日は11月なのに随分と寒くて、ダウンを着込んで鎌倉に向かいました
平日の雨の鎌倉、それも江ノ電のとある駅で下車して住宅地にあるお店だったので、ランチ時でもお客さんは私のみ 静か過ぎる店内で、ただただテラス席を眺めていました
大雨の為使われないテラス席には、なかなかの数のスズメたち 2羽、3羽と、まさに肩寄せ合うように雨宿りしていました
たぶん、なんてことはない風景かもしれません でも、この写真を見ると、その日の大雨の様子やひんやりとした冷たい空気、それと対照的な店内の温かさや、ちょっと気だるい雨の昼下がりの記憶がはっきりと蘇ってくるのです
私にとって写真とは、その時の記憶や感情を思い出させてくれるもの だから私は写真を撮るのが好きなんです
話は飛んで、先月行われた親族の法事の席での会話です
終活とか遺品整理の話になり、大の活字好きで新聞社に勤務していた叔父が亡くなった後、大量の紙類の処分が本当に大変だった、と叔父の娘(私の従姉妹)が振り返っていました 叔父はあらゆるものを記録として取っておいたそうで、整理する立場の従姉妹を悩ませたものの一つが大量の写真だったということでした 旅先での写真は、せめて本人が写っているものならわかるけど、景色ばっかり残されても当人でない者にとっては何の感動も意味もない、と 従姉妹は旅先で写真を撮るよりも、じっくりと見て記憶に残したいタイプだと言っていて、一緒に会話していた叔母も同意していました 私は写真を撮るタイプなのですが、反論するでもなくなるほど〜とばかりに聞いていました
ふむふむ、確かに・・・ 写真って撮った瞬間その場に立ち会った人にとっては記憶とリンクして特別なものになり得ますが、そうでない場合は単なる記録になってしまうのですよね
写真を始めたばかりの頃、撮るものすべてに感動して、家族に「見て見て!」と半強制的に見せたり家族LINEに送ったりしていましたが、反応は結構淡白だったことを思い出します その瞬間の感動を他者と分かち合うってなかなかハードルが高くて、たとえそれが著名な写真家が撮影した一枚であっても、その写真の背景とか注釈がついてなければ理解を深めることが出来ないのではないかな、と思います
法事での会食中に何気なく交わされた会話は、写真とは何かを考えさせられる機会となりました 一昔前と違って写真はデータとして保管させることが多いので、いずれ残される家族を煩わせることにはならないと思います でも、私が撮った写真を誰かに見てもらうチャンスがあるのなら、その時の感情を説明できるような、記憶と深く繋がっている写真だけを残しておこうと決めました
今日は一日雨予報 明日もずっと雨らしい
雨が止んだら、カメラを持って出掛けよう
Elva
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